半島人は、大きく分けて4つの人種がいるのか?

1、半島南部の三韓という国があった時代の人々。

2、百済国があった時代のその国の人々。

3、新羅国があった時代のその国の人々。

4、今で言う満州(当時の呼び名はともかく)の地域から南下して1、2,3、の国を滅ぼして住み着いた人たち、高句麗から高麗、李朝へとつながっているようだけど。

1から3の人々は、皆殺しにあっていないのか、それがわかるといじめられるから、ひっそりと生きているのかも。

だとすると、李朝は半島を侵略して、獲ったという事になるけど、本当のところはどうなのかなあ?

日本が近隣国から戦時中の事を、非難される理由は、

1、防衛力が弱く、軍隊としての機能や考え方に、一貫性がないから。

2、旧日本軍が、大陸や、アジア諸国に侵攻した理由が、欧米列強国の植民地化に脅威を持ちその対抗策だったという事を、学校がしっかり教えないので、情弱でお人よしの人々がだまされる。

2、隣国の高級官僚や貴族と呼ばれる階級制度を日本が廃止した、どうして廃止しなければならなかったのか、野盗同様に一般人を略奪暴行の餌食にしていたから。

3、南京の事件に関しては、蒋介石の蛮行はニューヨークタイムズやワシントンポストの記者が本国に打電した内容には、民間人の家や施設に蒋介石軍の兵士が押し入って衣服を盗んで軍服を脱ぎ捨てられ路上に放置されいた様子が記録されている、そのことは多くの取材で明らかになっている。

4、では、どうして以上の事がもっと多く報道されないのかという疑問が残るが、戦後から数十年の間は、アメリカの原爆投下や、日本本土空襲の無差別殺人などのホロコーストを隠すための視線をそらす目的があり報道管制をひかれていた事に他なりません。

 以上は一つも非難される理由はないのです、戦争を日本が始めたと言っている人が多いのですが、列強国の特にロシアの南下政策はドイツのウィルヘルムがいとこのニコライにそそのかしたもので、英国米国スペイン等は1600年ころからアジアのいたるところ植民地にしていつか日本にと狙っていたことは、幕末の日米通商条約を見ても、日露戦争の米英の代理戦争と言われている事を見ても、アジア諸国がいじめ続けられていたものを、『日本が解放した事でアジアのほとんどの国が独立国となっている事で』、明らかです。

❝ニッポン人の方々よ、自信を持ちましょう❞

ビッグバンド・トロンボーン、トランペット募集

奈良県橿原市(かしはらし)のアマチュアバンド、グルービージャズオーケストラは「発足約2年で」ほぼ、メンバーが集まりましたが、トロンボーン2名とトランペット1名が欠員となっています、吹奏楽の経験者も大歓迎です、練習曲の中心はカウントベイシー楽団でやっているものですが、ラテンやスイングのスタンダードなどいろいろのスタイルの曲を練習しています。ひと月2回、日曜日の1時半から練習しています。

お問い合わせは

バンドリーダー:寺本佳市 E-mail: 1951teramoto@gmail.com

練習場所 奈良県橿原市天理楽器本店ホール ☎ 0744-47-3100

又は、バンドリーダー:寺本佳市 E-mail: 1951teramoto@gmail.com

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ブログ・バザー

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★半島人が日本に謝罪、謝罪というのは、どうして

そもそも、高句麗という国が発生する前から今で言う満州地域北部の、モンゴル系の軍隊に脅かされていた人々は、南下して朝鮮半島に侵略することを余儀なくされていたが、

高句麗という国が発生する前後に、百済や新羅という国が高句麗と同じ扶余族系の人種の中から、朝鮮半島(当時はどのように呼ばれていたかふめいであるが)に南下して国を形成していた。

紀元3世紀ころには、両国とも日本とも交易するなどして、深い交わりがあったと言われている、百済とは新羅唐の連合軍と戦って国家が消滅するまで友好国として同盟関係もあったと言う。

しかし、高句麗が南下して新羅が破れて消滅してから何世紀も経過してから、李王朝の時代になると、高級官僚である両班が地方自治の頂点に存在し、一般人に対して不当な金品の収奪が行われるようになった、単に収奪と言っても、ほとんど暴力的なもので、自分の屋敷の前に唾を吐いたと言ったり、悪口を言いふらしたとか言って、屋敷に連れてきて暴行のあげく金品を奪い取る、という手口であったと、当時の話を書いた書物を萩市の図書館で何冊も読んだ事がある。

日清、日ロの戦争で戦勝し、総監府、総督府と日本の監督下に置かれると、悪行を繰り返す両班という李朝時代の制度の身分を廃止した「これらの李朝時代の身分を失った一族」が日本を恨んであのような行動をとるのだ。

これらの人以外の人は、日本の統治を歓迎していた。